社報「さくらゐ川」 第38号 平成13年4月1日
神輿の時間が早まります!
〜神輿担ぎ時間の合理化で〜

 四月六日は春の例大祭であります。ただ今年は祭典と神輿の時刻を早めることとなりました。祭典時刻が朝八時三十分、神輿の発幸(おさがり)が九時三十分に早まります。
 神輿を担ぐ若者たちの要請を容れ、香取神社の方と調整し、神輿を早めに還幸(おひこみ)することとしました。三月二十五日開催の日高、香取両神社総代と神輿担ぎ各区代表との話し合いで、時間の合理化を主眼にほぼ次のようになりました。(主な通過地点)

 八時三〇分
 祭典執行
神輿石段下
 九時三〇分
 発幸
一〇時   
 山中
一一時   
 三島神社
一一時三〇分
 御行屋
一二時   
 郷主内
一二時三〇分
 毘沙門(島田公民館にて昼食)
一三時三〇分
 原
一四時   
 一次還幸
一四時三〇分
 発幸
一五時三〇分
 鐘撞堂
一六時   
 還幸

 御旅所の変更もあります。時刻の変更に合わせ、十分にご注意ください。お初穂は、子供神輿と紛れないよう封筒に明示ください。
 

神輿担ぎは只今各区でまとめ中

 神輿担ぎは、神輿会がなくなった今、各区でまとめて頂いております。先輩たちからも若い方々の参加に期待が寄せられております。

 各区にお願いしているまとめ役は、総代と

一区 神社禰宜、山家隆PTA班長
二区 門馬忠雄、今野廣PTA班長
三区 宍戸正一、小野浩幸PTA班長
四区 佐藤美一PTA班長
の方々です。

 若い方々の、郷土文化継承への意気込みを期待いたします。
神輿二基

佐藤庄一総代長三期目
〜総代、役員が交替〜

 佐藤庄一氏が三期目の総代長に選ばれ、副総代長に佐藤善一氏、神社維持費会計に森秀男氏と黒須貫禰宜が、監事として門馬敏男氏と佐藤秀夫氏が当たることとなりました。
  また宗教法人責任役員に佐藤庄一、佐藤善一、佐藤七雄の三氏が選任されました。
  今年は総代役員改選の年です。副総代長の佐藤員正氏を始めて七人の総代が後進に席をゆずりました。
  島田地区内四ケ区の区会において各三人の総代候補者が選ばれ、四月二十五日に宮司から委嘱されました。
退任された方々は、
一区―畑栄一氏・斎藤冨士夫氏
二区―佐藤力男氏
三区―佐藤員正氏・桑島勇治氏
四区―佐藤政志氏・佐久間三衛氏
の方々。
就任された方々は、(太字が新任)
一区―佐藤庄一氏・斎藤勝雄氏・斎藤公一氏
二区―森秀男氏・門馬敏男氏・森完治氏
三区―佐藤善一氏・佐藤勝征氏・佐藤善通氏
四区―佐藤秀夫氏・宍戸賢三氏・戸村勝雄氏
 退任された方々のうち佐藤力男氏・佐久間三衛氏は一期三年間、他の五人は三期九年間氏子崇敬者を代表して宮司を助け、神社の維持と祭りの齋行のために尽力されました。
 新しく総代役員となられた方々は二十五日早速会議を開いて、春祭の具体的な仕事について審議を始めました。
 

自治宝くじ収益金から
〜子供神楽などに助成〜


 角田市内各地区持ち回りで助成を受けている自治宝くじ助成が枝野に割り当てになり、このところ盛んに活躍している子供神楽がその恩恵に浴しました。
 平成十二年度の助成については枝野公民館で調整して、当神楽会にも割り当てられました。購入した品物は、白衣、袴、足袋、雑色、鳥兜、衣装箪笥など、子ども神楽中心。これまで大人用の白衣を手繰って着たりしていましたが、これからは身に合ったいでたちで舞うことができるようになりました。

子ども神楽整列公民館  子ども神楽公民館まつり

―子供神楽発表―
子ども会育成会・公民館まつりで

 子供神楽が始まってちょうど一年になりますが、各方面からたいへん注目を受け、装束も不十分でありながら多く出演してきました。今年に入ってから二月に角田市子ども会フェスティバル、3月に枝野公民館まつりに出演し好評をいただきました。
 

温故知新
〜本家の屋敷神様が立派なわけ〜

 光目内の只野正巳氏のお宅が、当地の只野家の大本家だそうです。この家の屋敷の乾(いぬい)の角に木造の手の込んだ造りの神様が祀られています。このほど、覆い屋の屋根が破損したため改築したのでよく見ると、三社造りで、慶応元年十二月二十九日の木の札が三枚入っていました。これによって御祭神は保食神、高良玉垂命、底筒男命の三神であることが分かりました。また別に少し新しい木札があり、これからは戸主只野兵三郎の依頼で斎藤平十郎が明治二十一年十一月二十三日に現在の社を改築したことが分かりました。この斎藤平十郎は当地の「巨匠」として称念寺門前に記念碑のある人です。社はたいへん傷んではおりますが、木羽葺きの立派な建物であります。今日建てるとしたら百万円はくだらないと思われます。

 このような立派なお宮をなぜ建てて、この三神を祀ったのでしょうか。

 まず、保食神(うけもつのかみ)は倉稲魂神と同一神と見られ、稲を始め食物や着物、生産をつかさどるお稲荷様。高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)は竹内宿禰、亦その子葛城ノ襲津彦をあわせた神名とも綿津見神(海神)とも言われ、神功皇后が新羅を攻められたときに潮の干満を皇后にささげて、容易ならしめられたと伝えられております。底筒男命(そこづつおのみこと)もまた神功皇后朝鮮半島に征渡されたときに中筒男神・表筒男神と共に神威をお顕しになった神様です。この筒男三柱は住ノ江三神として住吉神社の御祭神であり、海(水)上交通・漁業・農業の神様であります。

  三社造りの場合、中央が主祭神、向かって右脇が次の位、左が下位となりますが、高良玉垂命の幣札が在ったことから中央が高良様と推察しました。その他はどの順序に入っていたか判りません。
 住吉神社は枝野にありますが、もともと大阪、山口県、福岡県に在った大社であり、高良玉垂神社も阿武隈沿いに点在してありますが、大本の高良神社は福岡県の高良山に鎮座の大社です。稲荷神社は当地では屋敷神に多く祀っている作神様であります。

  このことから、只野家がこの地に足を下ろして何を念じたかが推察できます。桜井川の堤防はまだなく、矢走りからの水が年に一度ぐらいは堰場、柳町の辺りを越えて来たかもしれません。只野家の後ろから島田前までは、東山から石川口を通って流れ下る川水で大きな沼でしたから、光目内、郷主内の家々では屋敷回りに堀を掘り、田舟を持って農事や出水に備えていました。それでも肥沃なこの土地は捨て難い住居地であったのです。

 底筒男命は住ノ江三神の内でも水の底をつかさどる神様で、川が運ぶ沃土に関るこの神様がやはりふさわしかったのです。高良玉垂命は水運の神、農神。保食神は農業、生業の神です。この三神に生活の安全を祈願したものととれます。あるいは、元来只野家がこの三神の信仰を持ってこの地に根をおろしたとも察しられます。そうであれば只野家は海浜の生活をしてきたか武家の名残をもっていたとも考えられます。

 治水も農業技術も未発達であった昔、神に祈るしか術がなかったのも事実ですが、個人の家に神様を造らなくともそうした神さまにお参りすれば済んだことです。やはりなぜこんな立派な祠を建てなければならなかったのか、疑問が残ります。

只野家氏神
只野家氏神

〜屋敷神様って何?〜

 さて、周辺で古い屋敷神を持っている家はたくさんあります。例えば目黒家の勝重稲荷神社、山家家の和霊・鏡石神社、香山家や戸村家の館稲荷神社、佐藤家(啓宅)の淡島神社、斎藤家(平松宅)の木落神社、門馬家や菅野家の熊野神社、佐久間家の荒神社などは神社名をはっきり意識しています。木幡家などこの地区で多くは稲荷神社として祀っています。当初に紹介した三社造りも「おいなっさま」と呼んでいたそうです。どの家でも祀ってはいますが、大きくて立派なものは多くは武家のように人をまとめた家、本家のように血族の中心の家、職業や芸能集団の家元に祀られていたことが判ります。そして御祭神を見ると、勝重稲荷社・木落神社・鏡石神社などは「○○家遠津御祖神」であり、稲荷、熊野、粟島等とした場合はそれぞれ御祭神が決まっています。

 当地で屋敷神として多く祀られている稲荷様は、実は稲魂(いなだま)であり、年どしに祖霊神が稲魂となって来臨すると考えられてきたのです。よって稲荷即祖霊神と見て過言ではない。つまり本家では祖霊を祀って一族の守り神としたのであります。一族は即ち「氏」であり、その祖霊は氏神であります。よく「内神さん」というのはこれだというのです。祖霊はお墓かお寺に、あるいは西方浄土に在りとするのは仏教の教えで、日本古来、三十三年、五十年の弔い上げが終わると氏神様、産土様になるとされておりました。それで立派なお宮が造られたことが判ります。 分家を出すと、とかく本家の屋根色が心配になったりします。それでも本家の屋敷神様の格式は一族の守り神ですから、皆でお参りし、お互い負担も分け合うと一族の繁栄につながると思いますが、いかがでしょうか。

〜お祭のお呼ばれは楽しく〜

 一昔前はお祭りに呼ばれていったものです。その地域の内神様をまとめたのが鎮守様ですから、地域の総合の祖神、氏神であります。呼ぶ方も、呼ばれてご馳走になる方も理屈に合っていたわけです。これが終戦後廃れました。それを廃止させたのが新生活運動で、戦勝国が日本人の精神のまとまりを崩す狙いで「虚礼」と決め付け、押し付けたのでした。

  お祭りに呼ばれていくのはその家や一族の祖霊である氏(内)神さまをたたえて、繁栄を祈りあうことなのです。お土産に大きな赤飯のおにぎりを持たせました。あれが「御霊(みたま)の飯」です。

  四、五月は祭りの季節であります。当神社始め伊具郡内の神社のほとんどが四月に例祭を行っています。同時に重勝稲荷神社から始まってほとんどの屋敷神様も四、五月が祭日です。それは農作業の初めにあたって、作神様である祖霊にご馳走をして勢いをつけて貰う狙いがあるのです。そのほか、三島神社や和霊神社・鏡石神社が夏、門馬家の熊野神社や佐久間家の八重垣神社が秋ですが、これらも一般に夏祭(花掛けを促進する狙い)や秋祭(収穫の感謝)の季節です。お祭にお参りに行くのは当然のことですから、ご馳走になることを遠慮しなくてよいでしょう。

 目に見えない神様の姿を、お客様が演出したものと思われます。お客様は神さま。御祭のご馳走は、神様のようにおおらかになって賑やかに、楽しくいただくことです。悪口やけんかは大変失礼なことです。
 


社 頭 暦

四月 一日
 卯月月次祭(つきなみさい)
    六日
 春季例大祭 神輿渡御
五月 一日
 皐月月次祭
    二日
 蚕養嶺神社例祭 八十八夜
    六日
 御縁日
六月 一日
 水無月月次祭
    六日
 御縁日
   三十日
 水無月大祓(おおはらえ)
熱日高彦神社社務所
TEL 0224-62-0241
FAX 0224-62-4861