社報「さくらゐ川」第41号 平成14年4月1日


神輿担ぎ手が若返り 神輿世話人の働きで

 春の例大祭4月6日は例年通り神輿渡御があります。祭典が朝八時、神輿の発幸(おさがり)が9時30分で、去年とほぼ同様。

 今年は、新たに神輿世話人会が設置され、その方々のおかげで、3月末まで凡そ50名の若者が担いでくれることとなり、年齢も若返りました。
主な地点通過の予定時刻はほぼ次の通り。

 
10時 はぐくみ学園―山中
11時 三島神社―三月殿
11時30分 御行屋―光目内
12時 郷主内
12時30分 毘沙門―島田公民館(昼食)
13時30分 行人坊―原
14時〜14時30分 神社(一旦還幸・発幸)
15時 皇子塚―大和橋―河原
15時30分 鐘撞堂
   

 従前よりやや早まっておりますので、御旅所へは遅れないようにご注意ください。なお三島神社―三月殿は本来の順番に戻ります。
御供えは、神様に上げるものは「初穂料」です。子供神輿へは「ご祝儀」が妥当で、「子供神輿」と明記下さい。

 昭和初期ころの神輿渡御風景(我妻写真所撮影 撮影年は不詳)
向かって奥より、左が日高社、右が香取社の神輿。その前に神職。さらに手前に両社の総代、あるいは来賓。手前左が日高社の担ぎ手、右に香取社の担ぎ手。後ろに参列者多数。

 両社とも現在の神輿のようです。総代はみな紋付羽織に袴姿で正装をしています。担ぎ手の特徴として、日高社は袴にゲートルと地下足袋姿で統一され、香取社側はその上に現在と同じように白丁をはおっているのがわかります。

 ここに写っていて、健在の方はおそらくいらっしゃらないでしょうが、ご先祖さまとして、きっと今年も神輿渡御を見守ってくださることでしょう。

神輿世話人が早速大活躍
総代と 神輿の意義周知にも

  昨年末熱日高彦神社総代会は、神輿担ぎ継承検討委員会(門馬強会長)の答申どおり、若者たちに神輿担ぎを勧める方策として神輿世話人を置くことを決定。任期を総代に合わせて3年とし、さっそく各区から次の方々が選出された(敬称略)。
 
1区 赤坂誠、斎藤修、木幡誉郎
2区 門馬強、富田正、斎藤仁、門馬忠雄
3区 宍戸正一、小野勝広、戸村勇一
4区 佐藤孝一、佐久間正夫、佐藤美一

 2月17日の祈年祭の席で委嘱を受けて初会合をし、仕事の内容などを確認した。
主な仕事は、総代と協力して神輿担ぎ手を勧誘し確認すること。若者たちに神輿渡御の意義を理解してもらい、若者たちの郷土文化継承への意気込みをたかめ、一層のふるさと作りに期待するものである。

 選ばれた世話人たちは、これに基づき早速、各区に於いて総代と組んで若者たちに呼びかけ、3月末までに50人の担ぎ手が確認されている。去年に引き続き高校生から50歳代まで幅広い年代層になりそうで、とかく同年代にかたまりがちな若者にとって、縦のつながりの人間関係を持つよい機会になりそうである。

 まずは、神輿会解散後担ぎ手確保の見通しを探ってから3年めで、やっと新しい方式が確立した形となった。この方式をまとめて下さった検討委員会の方々に謝意を表すると同時に、神輿世話人、総代たちの活躍に賛意を贈りたい。
 
写真提供 佐藤勝征氏



温 故 知 新
当神社の神輿渡御は貴重な文化遺

 

 熱日高彦神社は古くから神輿を担いで氏子中を巡って渡御してきました。大東亜戦争で多くの若者が戦場に召し出されていた時も、戦後、戦勝国が学校や公共機関・マスコミを総動員して日本の伝統文化を壊そうとしていたときも、好景気で若者が都会に憧れて行ってしまった時期も、先輩たちの力で一年も休むことなく渡御されました。ただ、若者たちがいなくなった一時期、10年ほど総代たちが耕耘機やトラックに載せたりして命脈をつないで参りました。それも23年前、若者たちの強い意志で再び担ぐことが復活し、今日にいたりました。
 現在、その流れを継いで皆さんにご協力いただいております。

香取神社を伴う神輿渡御は県内唯一
 さて、当神社の神輿渡御には他の神社にない大きな特徴があります。それは香取神社の神輿と連幸(連なって進むこと)することであります。なぜそうなったかについては明確には言いかねますが、一つにはご祭神のかかわりが考えられます。

 熱日高彦神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)と瓊々杵尊(ににぎのみこと)とを主祭神にしていますが、日本統一の霊剣の神様をお祀りする鹿島・香取を南北に配祀して当神社を擁したものとも言われております。よって当神社の神輿に小斎の鹿島・大谷の香取両神社が供奉(ぐぶ)する形で渡御したものでしょう。ただし、鹿島神社は早くから引き上げました。50年程前には、山中の道を通って帰る鹿島神社の神輿のことを語ってくれる老人がいました。いずれにしても、香取神社の総代や氏子の人たちは当神社を「御本社」と称しています。当神社を中心とした連幸であることは間違いありません。

 この形態は、県内でも唯一と思われます。文化財として貴重なものと考えられております。

豊穣・増殖・縁結びの神事
 また、別の言い伝えでは、男女の神様が春の種播きを前にお会いになり、一年の繁栄の源をお授けになると言うことです。人間を含め生命の繁栄の神事と言うことになります。一般に熱日高が男で香取が女という風に考えられていますが、ごく古い結婚の型からすれば通う香取の方が男性と言うことになります。が、御祭神は両方とも男神。これには当地にあったずっと古い信仰によるものと思われます。

 鐘撞堂(池田溜池)で別れ際の胴上げはクライマックス。これで勝った方が豊作になると言われていますが、軽量な香取神社の神輿の方がなぜか一歩譲って早く終えるのが慣わしの様になっておりました。

少なくとも江戸時代からの歴史
 江戸時代の神輿修復の記録があり、また当神社の祭典に伊達藩から足軽4人を警護に充てて派遣したとありますから、これは神輿のことであろうと思われます。また、「山家様が来ないと神輿が出せなかった」と言伝えられておりますから、派遣されたのは山家氏を中心とした武士達でしょう。石川口には桑島、目黒、小荒井、香山などの武家がいましたからその侍たちがこれに充てられたものと思われます。

 いずれにしても、江戸時代には神輿渡御は厳襲されていたし、香取神社を伴うことも当然あったはずであります。

神様を各家にお連れするのは若者の役目
 では神輿渡御はなぜ行うのでしょうか。
 神輿には古い歴史があります。輿(こし)は人が担いで載せる乗り物で、おおかた偉い、尊いお方の乗り物。その場合は「御輿」、神様をお載せするから「神輿」と言うわけ。ちなみに乗る場所が下に付くのが「籠(かご)」です。

 お祭は、そのときに神様をお迎えしてご馳走(御供え物)を捧げて感謝を述べ、氏子の安泰、繁栄を祈願する催しであります。迎えた神様は地域の先祖の御霊であり、生命増殖のパワーです。その神様を今度は氏子それぞれの家にお迎えしてお祭りしようというのが神輿であります。それも若者達の肩で賑やかにお迎えするのが作法であります。
 若者は力もあるし、創造力もあります。その力で面白く力強く担ぎます。その明るさ力強さが即ち神様の姿です。また、純真な子供がタカイタカイされて喜ぶのと似ているともいえます。そうしてみると、やはり担ぐのは若者でなければいけないのです。もちろん心得のある先輩たちを伴ってのことであります。



新連載 お日高さんの自然(1)カタクリ


 昔は、堅香子(かたご)といわれ鱗茎(りんけい)のでんぷんが「かたくり粉」として利用された。しかしたくさん集めるのは容易ではない。今ではわずかに粉薬の増量剤として利用されている。家庭で使ういわゆる「片栗粉」はイモのでんぷんを精製したものである。

 ところで力タクリは里山のコナラやクリなどの落葉樹林の下に生え、木々が葉を茂らせるまでの約3ヶ月の間に一年分の栄養を蓄える。その後は葉が枯れ次の年の春まで休眠する。力タクリのような生活をする植物を特に早春植物と呼んでいる。        

 ニリンソウやヤマエンゴサク・キクザキイチゲなどもこの仲間である。これらのかれんな植物はもちろん、里山も大事にしたいものである。

もう境内では咲き始めた。 (文/小島和夫氏)


◆社◆頭◆あ◆れ◆こ◆れ◆

新たな年を氏子皆で祈る

歳旦祭 多数参列のもと厳粛に斎行

 午前0時、年の最初のお祭り「歳旦祭」が多くの氏子崇敬者昇殿のもと厳粛に斎行されました。

 献膳講休みの申し出を受けて、今年より新たな方法を模索しながらの歳旦祭でありました。せっかく初詣に多くの人が訪れるのだから皆に参列してもらったらどうかという役員会、総代会の意見で、希望者にはできる限り全員昇殿していただく方式にしました。

 神符授与所のテントも設営し、待っていたところ、午前0時前より続々と参拝者が訪れ、年が明けるころには拝殿が参列の人でいっぱい。0時の時報を合図に皆で新年の挨拶を交わし、神前で心ひとつに新年を祝い、一年の幸福を祈りました。

 初めてのことで、受付や収容、暖房設備など行き届かぬところもありましたが、反省を来年に生かし、より良い祭典にして行きたいと思います。

小正月の火祭り盛大に 斎火祭
 島田の正月を締めくくる斎火祭が、例年に無い暖冬の中、盛大に斎行されました。恒例になった和紙灯籠も100個あまり奉納いただき、参拝者の足元を暖かく照らすことができました。消防団をはじめ警備にあたられた皆さん、ご苦労様でした。また、ご祝儀を頂いた方は次のとおりです(敬称略 順不同)。

高橋政信、佐藤庄一、
佐藤員正、宍戸信成、畑栄一、渡辺てる子、佐藤武覚夫、齋藤實、佐藤良逸、佐々武志、
只野政義、佐藤孝一、片岡吾一、赤坂博志、菊地工務店、跡部洋

感謝申し上げます


写真提供 佐藤善通氏


 氏子各家庭で おひまち
 正月の「おひまち」に、当初の予定通りほぼ氏子全域にお伺いすることができました。これも復活初年で、至らぬ点多々ありましたが、今後より良いお祭りにしていけるよう努力してまいります。

社 頭 暦

4月 1日
 月次祭
 6日
 春季例祭・神輿渡御
29日
 みどりの日
 (昭和天皇誕生日)
 5月 1日
 月次祭
   2日
 蚕嶺神社例祭
 八十八夜
3日
 憲法記念日
   5日
 端午の節句
 こどもの日
6日
 立夏
6月 1日
 月次祭
30日
 水無月大祓



編集後記

 例祭間近。皆さんのご協力を頂いて、準備も滞りなく進んでおります。あとはお天気を祈るのみ。

今号より島田の小島和夫さんに、鎮守の森の植生などをわかり易く紹介いただくことにいたしました。中学校長を退職後、自然保護や自然教育・研究に携わっておられます。身近な自然の面白さを教えていただきます。ご期待ください。

 ハッピーマンデーをうたい文句に成人式の日があっちへこっちへ。成人の意義自体も揺らいでいますが、そもそも小正月(15日)が農業の正月で、しかもこれに合わせて子供組や若者組の行事が多くあったから祝日なのだという根拠も捨て去られようとしています。農業も伝統も青少年教育も、なされるままで良いわけはありません。

熱日高彦神社社務所
TEL 0224-62-0241
FAX 0224-62-4861